ホーランエンヤ
2004年3月23日
12年目ごとに行われる船神事で、式年神幸祭と呼びます 。
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松江城の城山稲荷神社の御神霊を約10km離れている出雲郷の阿太加夜神社へ水路お迎えし7日間にわたって豊作や繁栄のための大祈祷が行われる祭りです。この船神事は12年目ごとに行われ式年神幸祭と呼びますが、一般には「ホーランエンヤ」の通称で親しまれています。
約100隻の船が1kmにわたってつながれ、宍道湖、大橋川、中海、意宇川を往復する華麗な水上パレードは、広島厳島神社の管絃祭、大阪市天満宮の天神祭と並んで日本三大船神事の一つといわれ、約350年の歴史をもつ壮大な船祭りです。
見どころは「渡御祭」「中日祭」「還御祭」といわれる祭典で、ホーランエンヤと称する唄に合わせて、はっぴ姿の櫂かきが力強い櫂さばきを見せ、豪華な衣装をまとった剣櫂、采振と呼ばれる踊り手たちなどが、豪華絢爛たる一大水上絵巻を繰り広げます。最近では平成9年5月に行われました。
ホーランエンヤ詳細
- 起源
堀尾・京極両氏の後、松江城へ藩主として入城したのは松平直政公で、今から350年前の寛永15年でした。直政公は前の領地の長野県松本から農業の神として稲荷大明神を勧請し松江城山に祀りました。その祭事すべてを取りしきったのが阿太加夜神社の神官松岡兵庫でした。
松岡兵庫は人格・識見とも人並みすぐれ松江藩随一の祈祷の達人でした。堀尾氏が松江城を築く時石垣が崩れて工事が進まなかったのを、三日二夜の祈祷を続けてその祟りを除いたため見事城が落成しました。それ以来累代の藩主の信任が篤く、城内祭事はすべて松岡氏が阿太加夜神社から出仕して執りおこなっていたのです。
直政公が入城してから10年目の正保4年(1648年)、出雲国は天候不順で風雨が多く大凶作の様相があらわれました。そこで直政公は城山稲荷大明神を阿太加夜神社に勧請して五穀豊穣を祈願するよう命じました。そこで御神霊の御輿を城山から出雲郷まで水路でお迎えした松岡氏は、心身潔斎の上1週間にわたっての大祈祷をしました。その効験が現われその秋は大豊作大豊漁に恵まれ藩内は喜びの声に満ち満ちました。以来10年ごと、のちには12年ごとに御神幸が行われるようになり、現在の式年神幸祭の起源となりました。
- お祭り
渡御祭〜
幕開けとなる祭典で、松江市の城山稲荷神社の御神霊を、出雲郷の阿太加夜神社に船でお運びする神事です。大橋川を華やかな船行列が下っていくのが見どころです。
中日祭〜
阿太加夜神社の氏子の人々が、安置された御神霊をお慰めするために、祈願の中日となる日に陸船をくりだして、櫂伝馬踊を奉納する神事です。出雲郷橋から阿太加夜神社までを車輪をつけた陸船が行進し、見物客は壮大な陸船の行列や役者が披露する勇壮華麗な櫂伝馬踊りの迫力に酔いしれます。
還御祭〜
阿太加夜神社に安置されていた御神霊を渡御祭とは逆の経路をたどって、もとの城山稲荷神社へお運びする神事です。櫂伝馬踊の奉納を最後にしずかに幕を閉じます。
- 櫂伝馬の始まり
正保4年から約150年経った文化5年の神幸祭の際激しい浪風のため馬潟沖で御神輿船が漂流して危険な状態になりました。それを見た馬潟の漁師達が船を漕ぎ出して援助し無事に阿太加夜神社へ案内したのが始まりといわれています。その後、矢田、大井、福富、大海崎が加わり、馬潟と合わせて櫂伝馬船を繰り出すこの5地区を五大地と呼びます。
櫂伝馬船の船先で男踊りを踊るのが「剣櫂」、後方4斗樽の上で女踊りを踊るのが「采振」です。
一組の伝馬船団は、櫂伝馬船、総代船、化粧船、賄船の4隻で編成されます。櫂伝馬船には剣櫂、采振、太鼓打、櫂かき、音頭取などがカラフルな衣装化粧で乗り、「ホーランエンヤ、エヤサーノサ」の囃子やそれに合わせた華麗な踊りを披露します。













